バレエのレッスン仲間に「昔、深川先生が家にいらしたことがあるのよ」と話してくれる友人がいました。
深川先生?
名前はそういえば何となく聞いたことがある、、有名なバレエの先生なんだなあと思っていました。
そして今年の4月、Facebook上で学生時代に授業を受けたバレエ評論家の鈴木晶先生が大阪の吹田のホールで行われるバレエ公演について
「見逃したらきっと後悔します」
といった投稿をされていて
以前ネットでこの公演情報を見た時に気になっていて迷っていたところだったので、えいやっと当日券を予約して出かけました。
「深川秀夫 バレエの世界」という公演でした。
この公演の数年ほど前にネット上で深川先生の1960年代のモノクロの動画が偶然あがってきたことがあり、驚愕した記憶があります。
そこには亡命前のバリシニコフも映っているではありませんか。
どうやらコンクールでバリシニコフと順位を争ったとのことでバリシニコフも彼をライバル視していたというお話もあるそうです。
当時「東洋のニジンスキー」と称されたとか。
深川先生は2020年に73歳で亡くなられたそうですが、1960年代はまだ日本のバレエは発展途上の時代。
有名な森下洋子さんが1974年ブルガリアのヴァルナ国際バレエコンクールで驚きの一位を獲得するだいぶ前の話です。
その時期にヨーロッパで踊っていた日本人ダンサーがいたのか、という事実とその踊りの鮮やかさ。
熊川哲也さんをも超える素晴らしいジャンプ力と体の使い方のセンスの良さ、ヨーロッパ的な品格も身につけているような踊りでした。
ほとんど深川先生について詳細な知識なく公演を拝見しに行った私ですが幕が開くと感動の連続でした。
深川先生がこれまで帰国後、どのバレエ団にも属さず日本中のバレエ団やバレエ教室のために振りつけられた作品の数々が現代の若いダンサーによって踊られていったのですが、その何とも言えないセンスの良さに心惹かれました。
先生の振り付けは特に群舞などは熟達したダンサーでないと踊れないものではなく未熟な生徒さんでも踊りやすく美しく見えるような工夫がされながらも音楽にぴたっと寄り添っていて見ていてとても楽しく一緒に踊りたくなるような作品が多かったです。
選曲がまさに私好みで、シュトラウス、ラフマニノフ、マーラー、グラズノフ、ショパンまで!
特にプログラムの初めのほうで踊られた子供たち25名の群舞「ディ・フェーダー」(ドイツ語でDie Feder 羽を意味する)は色とりどりのふわふわの羽をお尻につけたフレンチカンカンを思わせるような衣装で登場。
そして曲はヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」のオーケストラバージョンです。
陽気な3拍子に乗ってパリの粋な雰囲気を感じさせるようなわくわく感。
きっとダンサーたちも踊っていて楽しいだろうな~と感じました。
休憩中に思わず遠方からいらしていた鈴木晶先生のお席に伺って「ほんとに振り付けのセンスが抜群ですね!」と申し上げてしまいました。
深川先生のプロフィールをプログラムで眺めていたら、森下洋子さんよりずいぶん前にヴァルナ国際バレエコンクールに二度出場で銅賞、銀賞(一位なし)を受賞されてました。
冷戦時代の東ベルリンのバレエ団でソリストをつとめたり、フォンティーンとヌレエフも出演のロンドンのガラ公演に出演、パリのシャンゼリゼ劇場の公演に出演、アメリカン・バレエシアターに客演…。
一部分挙げただけでも現代の日本人若手ダンサーでもなかなか経験できない場所で踊られてきたのがわかります。
今でこそ先日、吉田都さん率いる日本の新国立劇場バレエが初めてロンドンのコペントガーデンで「ジゼル」を演じて好評だったというニュースが流れていましたが、深川先生が生きた時代には日本人が海外でバレエダンサーとして認められるということは想像もつかないことだったと思います。
会場は先生と交流の深かったバレエ関係の方がたくさんいらしていて、
「Hideo あるいはフライングジャパニーズ 深川秀夫の世界」
という本が販売されていましたので一冊買って帰りました。
そこには深川先生と関わられたたくさんの方々の素敵な思い出や想いが綴られていて、深川先生が作られた作品の履歴やお写真が載っていました。
本をパラパラとめくると本当にに素敵なお人柄の方だったことがわかります。
2020年に亡くなられた深川先生ですがご存命の間に一度お目にかかってご経験談を伺ってみたかったです。
ご興味のある方はぜひYouTubeの映像をご覧ください。
若き日の深川先生の踊りが取り上げられています。
[ハピバス・関西]
長岡京クラス Mari





